2020年11月29日(日)14:00~17:00、「改めて考えよう、翻訳に必要な力」セミナーを聴講しました。
講演者は、高橋さきのさん、井口耕二さん、岩坂彰さんのお三方でした。
セミナーでは文字どおり、「翻訳に必要な力」をテーマにトークが進みましたが、なぜか今回はメモを取るだけでいっぱいいっぱいなところがあり、聞き漏れなどもあったかもしれません。
以下、高橋さきのさん(「さきのさん」と呼ばせていただきます。すみません…)のお話をメインに印象に残った点をまとめておきたいと思います。

さきのさんは、「翻訳者」というものを「原文世界と訳文世界を行き来する者」として捉えられているようでした。
こう言うと、「翻訳者なら当然では?」と言われそうですので、もう少し詳しく考えてみたいと思います。

自分の理解が合っているか自信がありませんが…
翻訳者は「原文世界で行うこと」と「訳文世界で行うこと」の2つを並行して行っています。

もう少し詳しく見ていきましょう。
「翻訳者が原文世界で行うこと」とは何でしょうか。
それは、原文の読者になって理解することでしょう。
原文が英語であれば、英語読者になって内容を理解することと言えるでしょう。

では、「翻訳者が訳文世界で行うこと」とは何でしょうか。
それは、訳文の読者になって理解することでしょう。
訳文が日本語であれば、日本語読者になって内容を理解することと言えるでしょう。

当然と言えば当然ですが、両者の蝶番となるのが翻訳者と言えそうです。
つまり、翻訳者は「原文言語の読者となり、訳文言語の作者」となる必要ありそうです。

ここで、さきのさんが仰っていたのは、
1. 読めないことは訳せない
2. (読めても)書けないことは訳せない
3. (読めても書けても)訳せない
という三点でした。

1. は、理解できます。それはそうでしょう。
何が書いてあるか理解できないものを、他言語で伝えることができるはずがありません。

2. は、確かにそうだなぁと思いました。
私の理解ですが、本当に理解している場合にはアウトプットまで可能だからかなと思います。
逆に言うと、「書けない」ということは、上っ面の理解に過ぎないのかもしれません。

3. の「(読めても書けても)訳せない」という点については、半分「そうだな」と同意でき、半分「そうかぁ」という発見でした。

「(読めても書けても)訳せない」という事象がなぜ生じるのか、それは
(原文リーディング + 訳文ライティング)のスキル ≠ 翻訳のスキル
だからということだそうです。
考えてみると確かにそうです。
もし両者がイコールであれば、外国語の読解能力が高く、母国語の文章能力がある方は全員翻訳者になれると言っても過言ではないでしょう。
さきのさんの仰るところ、
(原文リーディング + 訳文ライティング)のスキル ⊂ 翻訳のスキル
という包含関係だと理解しています。

で、結局は「翻訳と絵」にいきつくと思います。
詳しくは翻訳フォーラムの先生方が書かれた『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社 2016/高橋さきの・深井裕美子・井口耕二・高橋聡著)に書かれています。

拙い理解ながら、
原文世界で描く絵 = 訳文世界で描く絵
になっていなければ、「翻訳」とは言えないということなのではないでしょうか。
確かに母国語能力が高ければ、流麗な文章を書けるでしょう。
しかし、原文と照らし合わせてみると、「そんなこと言ってないでしょ」という訳文は多々あります。
これが、3. の「(読めても書けても)訳せない」の例と言えるのではないかと考えています。

この「翻訳と絵」のお話の構成要素は多岐にわたるため、今後のセミナーを受講しながら、個人的にも分析したいと考えているところです。
とまあ長々と書いてきましたが、今回も考えさせられました。
特に「(読めても書けても)訳せない」という点です…
仮に英日の翻訳をしているのであれば、英語と日本語の勉強だけでは足りないという当然の話なのかもしれませんが、何というか痛いところを突かれた感じでした。
が、同時に学び続ける刺激になったのも確かです。
今回もありがとうございました!

#改めて翻訳1129

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